エムリフレです。
今回はわたくし・てんちょの話です。 長文になるので、すげえ暇な時に読んでください。
私には足つぼを志すきっかけとなった、三人の師匠がいます。
一人目は佐野にて多大にお世話になりました秋山経慈先生です。
私が生涯で出会った最も偉大な治療家の一人です。
膀胱がんを患った私の父、私の友人、お世話になった社長、
多くの方の面倒を見ていただきました。
先生は「足つぼ」の治療で数多くの深刻な病と戦い、
人と自然が共存する生き方を実践し、易学で人生を説かれました。
私なんて、まったくもって足元にも及びませんが、
秋山先生の生き方に憧れ、
自分でもなにかできるか、せめて人を癒やすことくらいは
できないだろうかと、この世界にトライしたくなったのです。
二人目は大学からの友人、武蔵村山・塩澤整骨院の塩澤理司先生です。
私にとって無二の親友である彼は、30歳も過ぎたある日、
親の経営する水道施工会社を辞め、治療家の道を志します。
そして苦労の末、自分の医院を開業するまでこぎつけました。
しかし、彼はつい3年ほど前、日頃の無理がたたり、生死を彷徨う大病に侵されます。
脳や運動器官などの様々な障害から決死の努力でリハビリを続け、
ついには担当医のお墨付きで医院を再開するまでに復活しました。
今でも整骨院の領分を超えた難しい難病を抱える客が来ても、命がけで取り組んでいます。
このご時世、お金や地位や名誉や、そういうこと関係なく患者と向き合う
恐ろしく無骨だけど心がある男です。私は彼から多くのものを学び、与えられました。
三人目は新宿・身健堂気功整体院のキム先生です。
40代に入って、編集業を営んでいた私は
パソコンばかり見ていたのが悪かったのか、酷い四十肩になりました。
毎日痛くて痛くて、キツイ鎮痛剤を飲まなければ夜も眠れませんでした。 そこでまず、整形外科をネットで探しまくり、
テレビにもでるような有名な先生の病院を
東京中を探しまくって診てもらいました。
しかしながら、肩の状況は改善しませんでした。
「ああ、それは時間が経つまでしょうがないね」と
笑って湿布を渡された都心のキレイな病院は印象的でした。
次に私はペインクリニックに行きました。
痛みを緩和ケアしてくれる病院です。
ここもネットで調べ、通いやすくて人気のある病院に行きました。
肩に直接痛み止めの注射を打っていただいたのですが、
打った直後はとても快適でしたが、少し立つとまた痛みとの戦いになりました。
注射も最後の方には普通の人の倍以上を打ってもらいました。
しかし、根本的には肩は治りませんでした。
鍼灸や按摩にも通いました。
施術後の瞬間、調子が良くなった気がするところもありましたが、
やはり結局は良くはなりませんでした。
そうした絶望的な状況の時、キム先生と出会いました。
「なんでもっと早くこなかったの! 大丈夫だから、1週間通いなさい」
そう言われた私は先生の元に半信半疑ながら通ったのです。
そして、
1〜2週間後、なんと四十肩は治ったのです。
痛みから開放された喜びで、本当に感動しました。
先生から
「あんたの肩はほおっておくとぶり返すし、反対側の肩も悪くなるから時々通いなさい」
そう言われて、先生のファンになった私は月に2〜3回、先生の院にお邪魔しました。
先生とよく話すようになってわかったのは、
先生のもとには治療を希望する患者が多いけれど、先生一人で運営しているため、
最近では紹介以外の客をめったに入れることはないという事、
自分はたまたま見初められたというより運が良かっただけなのだ、という事、
他に通うお客も医療関係者や学者先生など、お金や見栄えよりも身体が大事であると悟っている方が多いという事、
ご自身が人の健康についての深い造詣を持っていらっしゃる事がわかりました。
私は「よかったら先生の施術の端っこで良いので教えてくれませんか?」
と懇願したところ、
「気功整体は時間的にも難しいけど<足つぼ>なら教えてあげる」という事になり、
身健堂流足つぼ施術を学ぶことができたのです。
さて、
私は、治療家としては、
この三人の遠く足元にも及びません。
しかしながら、
足元から身体をケアをして、身体を温め血流を良くし、
少しの間でも身体を休めて、本来の調子を取り戻すきっかけになる時間を提供する、
リラックスするお手伝いができればと思っています。
ゆっくり身体を休めてもらう……それだけの事でも、
みんなが本当に疲れて具合が悪くなっている現代では、
必要な事だし、意味があるだろうな、
と信じています。
(身健堂気功整体院の院内)
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